常総、日大高校の受験問題を生徒と一緒に解き直しました。
解けなかった問題を再度考えても自分では解けなかった問題を
私の誘導を得ながらなんとか解を得ました。これで終わりとはならないのです。
説明を聞いて納得しただけではまだ身についてはいない恐れが十分にあります。
ドラフトをもとにじっくり清書してもらうことで、連想、構想などを考えながら
清書してもらうことで自分のものになります。
受験という特別な環境下で問題と格闘した → 考えたけど解けなかった → 解き直したけどやはり
解けない → 説明を受けて納得 → 清書 → 定着
すなわち おそらく清書した問題は生涯良く身に付きほかの問題を解くときの支えとなることでしょう。
解けなかった問題は悔しいし見たくもないという気持ちはわかります。
しかし大局観からはとてももったいない行為です。