電卓の活用

通常、数学教育において計算に電卓を用いることは良くないこととされています。
しかし将来を見越して、電卓の活用は大いに検討されべきではないでしょうか。

中3生の展開の応用問題です。
1002^2 を計算せよ、が問題集にあったとします。

\(与式=(1000 + 2)^2 = 1000000 + 40000 + 4 =1004004 \)
を筆算で行い、解答を見て確認が通常の動作ですが、

更に、電卓を使って 自分でいくつか類題を作るわけです。
生徒自ら \( 105 ^2 \)を作成、計算するとします。

1.\( 与式=(100 + 5 )^2 =10000 + 1000 + 25 = 11025 \)を筆算で求める。
2.\( 関数電卓のx^2 キーを用いて105 ^2=11025 \)を求め、これを確認する。

すなわち、問題集では与えられた問題を解くのみですが、電卓では周辺の類題を
自分で発展的に作成し、正誤をすぐに判定できます。

仮に電卓無しだと類題を作ったとしても、第三者に検証してもらうしかないわけですから
大幅にモチベーションが低下することでしょう。

そうだ、類題を自分で考えて解け、それを電卓を用いて確認せよの課題演習は有効では
ないでしょうか。

ある意味で解析解と実験結果を比較しているとも言えます。
小さなことですが、電卓の活用事例としては使える話ではないかと思っています。 

公式(2)

公式(1)の話を生徒に紹介した直後に、教室に宅配員がきて問いかけられました。
”ここって部屋番108はどこですかね?”

” ああ、この建物はですね、部屋番のつけ方がちょっと変わってましてね、
一階テナントは1号、2号・・・12号で2階住居も101、102、・・・、3階が201,202・・・となっています。
恐らくその108の部屋番は2階の108号室の意味だと思いますよ。”

”このことは何度も何度もあることです。大家さんに対策してほしいのだけれど・・・。”と私。
”それって、まさしく公式の再定義の話じゃありませんか!”と生徒。

”あっ、そうだね。そのままだね!”と自分で納得した次第です。

オリンピック

やるの、やらないの、はっきりして欲しい。(中3男子)
その通りだけど、時代背景の違いが。

私が小5の時1964年東京大会だった。その前は1960年ローマ大会だった。

古橋広之進 ”フルハシがんばれ!フルハシがんばれ!”のラジオ放送をドキュメンタリーで聞いたことがあるだけ。
ドキュメンタリで古橋氏が回想していました。” 負けたら、本当に死のうと思っていました。”このくらい国民の
期待は高まっていたのです。

二人の国民的英雄がいた。あの頃は戦後間もないころだったらしい。大人はみな敗戦で自信喪失状態だった。

ロンドン大会不参加、が水泳の英雄 フジヤマのトビウオ 古橋広之進(フルハシ ヒロノシン)選手
日本初のノーベル物理学賞受賞 知のハンター 中間子論の 湯川秀樹 (ユカワ ヒデキ)博士

今だからわかる。どれほど、当時の多くの日本人に自信、勇気、そして希望を与えたかを。
そして、1964年の東京大会は戦後復興を世界にお披露目する舞台装置だったのです。

満州事変に出征の経験がある私の父は普段は一切戦争の話はしませんでした。しかし
東京オリンピックの報道には異常に興奮していたのを覚えています。子供である私には

ただのスポーツ報道になぜこんなに大人は気が高ぶるのか不思議でした。
そして2020年の東京大会。あの前回の異様な興奮状態の東京大会の再現はいかにも無理では。

大過なく粛々と実施されんことを願います。

空白の3月を意義あるものに

試験(大学)結果待ちの受験生が訪ねてきました。

”難しかったです。あの、受講は2月までとお伝えしましたが、結果がどちらでも、
今後のことを考えると空白の3月を意義のあるものにしたいので3月も受講したいです。”

なんと前向きな!
早速、明日の朝9:15分から数学を一緒に勉強することにしました。

速〇を忘れずに。数Ⅲから。

WB演習は生徒だけでやるの?

保護者の方から質問がありました。

“WB演習は生徒だけで実施され、指導は入らないのですか?”

いいえ、演習の進め方にはスタイルがありますので、最初はスタッフが手順を説明し
その通りに実践されることを確認しながら次は自分の判断で演習を進めてもらいます。

内容について疑問が生じた場合にはスタッフに相談する、あるいは観察しているスタッフから見て
そこはもっと・・、あるいは別解を紹介すべきと判断した場合などでは追加で説明するときもあります。

ただ、解答・解説集を手にしていますので、生徒だけで進めることが可能です。
御懸念されていることは、生徒同士で勝手に進め、勝手に理解したことにして、本当に重要事項を
身に着けることができるの?ということでしょうか。端的に言うとサボタージュの心配があるのでは?

実績から申し上げますと、観察した限りにおいては、全く、そのようなことはありませんでした。
恐らく彼らは、主体的に参加している時間をより意義深いものにしたいという自らの向上心がそうさせ
ているのではないでしょうか。つまり互いにベクトル合わせ、果実を得る仲間ということだと思います。